朝倉光治さんを偲んで(広報たかす3月号より)

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 町の郷土史研究の第一人者であり、初代鷹栖町郷土資料館館長であった朝倉光治さんがご逝去された。享年97歳。『町の生き字引』と言われた朝さんの功績はあまりにも大きく、氏の頭の中に残された史実をもれなく記そうと足繁く通った方も多い。
 昭和57年に発刊された「鷹栖町郷土誌 オサラッペ慕情」は全3巻。それぞれ343頁、410頁、322頁の大作であり、朝倉さんを中心に精鋭7人の名が連なる。
 開拓当時からの苦労や喜び、農業経営や子弟教育への情熱など、家族や郷土への愛に満ちた郷土史は唯一無二である。長年蓄積された史料はもちろん、新たに3年余りをかけて、先人へ
の見聞調査で得た言葉や想いは、令和の現在になってさらに心に響く。
また、朝倉さんを中心に郷土資料館で復元展示されている装蹄所や馬具一式が国内でも稀少な馬事文化資料であることから文化庁調査の対象となり、登録有形民俗文化財の認定に向けて動いている。乱流オサラッペ川や湿原が多かった鷹栖町の開拓期は、ぬかるんだ泥炭地を肥沃な農地に変えたいと来る日も来る日も土地改良に励み、黄金色の稲穂を夢見て、家族と同じよ
うに農耕馬も大切にしていた歴史がある。
 オサラッペ慕情のあとがきに化学肥料と農薬への警鐘が記されているが、先人たちの労苦を礎に豊かに育くまれた「母なる大地」の声に耳を傾けることが、朝倉さんたち先人への供養になるに違いない。

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